※日付をクリックすると、その日の詳細な「記録」が表示されます。
8 月
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
マンチェスター,プレイハウスシアターにて、BBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』の収録。 | |
1965 |
ABCシアターにて、ABCテレビ番組『ブラックプール・ナイト・アウト』に生出演。 | |
映画『Help!』、イギリスで一般公開。 | ||
1966 |
ポール、ロンドン、ブロードキャスティング・ハウスにて、BBCラジオ番組『デビッド・フロスト・アット・ザ・フォノグラフ』に生出演および収録。 | |
1967 |
ジョージとパティ、ロサンゼルスにあるラヴィ・シャンカールのシタール学校を訪問。 | |
1968 |
ロンドン,トライデント・スタジオにてレコーディング。17:00-翌3:00 | |
Hey Jude(2/2) | ||
1969 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-22:30 | |
Because(1/3) | ||
1963 |
リバプール,グラフトン・ルームズにて公演。 | |
1964 |
ボーンマス・ゴーモントで、サンデー・コンサートを行う。 | |
映画『A Hard Days Night』、イギリスで一般公開。 | ||
1968 |
ロンドン・ウィークエンド・テレビ・コメディ・シリーズ「Thingumybob」がスタート。テーマ曲はポール。ブラック・ダイク・ミルズ・バンドが演奏。 | |
ロンドン,トライデント・スタジオにてステレオ・ミキシング。14:00-翌1:30 | ||
1963 |
夜、リバプール、キャバン・クラブにて公演。この日が約2年半の間300回近く出演した、キャバン・クラブ最後の出演となった。 | |
1968 |
「ディスク&ミュージック・エコー」誌は、ポールがフランという女性を連れて「レヴォルーション・クラブ」に現れたと報じる。アップルのスポークスマン、デレク・テイラーは、「彼らの個人的なことについて、私は何も知らない」と語る。 | |
1963 |
ブラックプール,クイーンズ・シアターにて公演。 | |
1964 |
ジョン、サリー州の新居へ引越。 | |
1969 |
EMI第2/3スタジオにてレコーディング。14:30-21:00 | |
Because(2/3) | ||
1970 |
アップル宣伝部を閉鎖。アラン・クラインがほとんどの従業員を解雇する。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
アームストン,アボッツ・フィールドパークにて『アームストン・シヨー』に出演。 | |
1966 |
全世界注目の中、13枚目のシングル"Yellow Submarine / Eleanor Rigby"と 7枚目のアルバム "Revolver"を、同時にパーロフォンからリリース。 このダブル・"A"サイド・シングルは世界12ヶ国で1位に。 |
|
1969 |
EMI第2/3スタジオ、及び43号室にてレコーディング。14:30-22:45 | |
Because(3/3) ジョージがアメリカで購入したムーグ・シンセサイザーをレコーディングに導入。 「Because」のオーバーダビングに使う。 |
||
You never give me your money(6/6) | ||
The end(2/5) | ||
1963 |
ジャージー島,スプリングフィールド・ボールルームにて公演。 | |
1965 |
アルバム"Help!"をパーロフォンからリリース。 | |
1966 |
ジョンとポール、ロンドンのポール自宅にて、BBCラジオ番組『ザ・レノン&マッカートニー・ソング・ブック』の収録。 | |
1968 |
ロンドン,トライデント・スタジオにてモノ・ミキシング。17:30-翌1:30 | |
1969 |
EMI第2/3スタジオ、及び43号室にてレコーディング。14:30-翌1:00 | |
Maxwell's silver hammer(4/4) | ||
Here comes the sun(4/7) | ||
1957 |
ジャズ&ブルースのクラブだったキャヴァーン・クラブに、クォリーメンが初めて出演。ポールはボーイ・スカウトのキャンプに行っていて参加しなかった。 | |
1963 |
ジャージー島,スプリングフィールド・ボールルームにて公演。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、テープ・コピー。15:00-19:45/20:45-翌5:30 | |
1969 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-18:00 | |
The end(3/5) | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ガーンジー島,オーデトリアムにて公演。 | |
1966 |
ジョン、ジョージ、リンゴ、ミック・ジャガーが主催したパーティに出席。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング、テープ・コピー。18:40-翌6:30 | |
Not guilty(George)(1/3) | ||
1969 |
ABBEY ROADのジャケット撮影のために4人のメンバーが早朝のアビーロードに集合する。 |
|
EMI第2/3スタジオ、及び43号室にてレコーディング。14:30-21:45。 | ||
Oh! Darling(7/8) | ||
I want you(She's so heavy)(5/7) | ||
1963 |
ジャージー島,スプリングフィールド・ボールルームにて公演。 | |
1964 |
スカーバラ,フィーチャリスト・シアターにて公演。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:30-翌2:00 | |
Mother nature's son(1/2) | ||
Not guilty(George)(2/3) | ||
1963 |
ジャージー島,スプリングフィールド・ボールルームにて公演。 | |
1963 |
ブラックプール,ABCシアターにて公演。 | |
1964 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-23:00 | |
Baby's in black | ||
1966 |
アメリカ・ツアーに向けて出発。 ジョン、シカゴでの記者会見で「キリスト発言」について「人々の感情を傷つけたなら申し訳ない」と謝罪。この会見のもようはアメリカの3大テレビ(NBC、ABC、CBS)をはじめ、各国のニュース番組で報道される。 |
|
1968 |
アップル・レコード・レーベル、レコード部門の専門活動を開始する。第1弾のリリースは、ポールが指揮をするブラック・ダイク・ミルズ・バンドの「Thingumybob」。 | |
1969 |
EMI第2/3スタジオにてレコーディング。13:00-14:00/14:30-23:10 | |
Oh! Darling(8/8) | ||
I want you(She's so heavy)(6/7) | ||
Here comes the sun(5/7) | ||
ジョンとヨーコ、ティッテンハースト・パークへ引越。 | ||
1960 |
ピート・ベストがグループのオーディションを受けてドラマーとして加入。 | |
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
アメリカの500の映画館で映画"A Hard Day's Night(ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!)"封切り。 | |
1966 |
シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターを皮切りに、3度目の、そして最後のアメリカ・ツアーを開始。ビートルズはリハーサルもせず、ニュー・アルバムからの新曲も演奏しなかった。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌4:15 | |
Not guilty(George)(3/3) | ||
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1965 |
3回目となるアメリカ・ツアーに出発。 | |
1966 |
前日に行われたジョンのキリスト発言についての釈明会見を受けてシカゴ・デイリー・ニュースが「レノン放免!ビートルズは歌い続ける!さらに豊かに!」と報じる。 | |
デトロイト、オリンピック・スタジアムにて公演。(アメリカ) | ||
1968 |
EMI第2スタジオ及びコントロール・ルームの隣の小さな別室でレコーディング。19:00-翌5:30 | |
Yer blues(1/3) | ||
Sexy Sadie(1/2) | ||
1963 |
マンチェスター,グラナダ・テレビ・センターにて、グラナダ・テレビの番組『シーン・アット・6:30』の収録。 | |
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-23:15 | |
I'm a loser | ||
Leave my kitten alone(John) | ||
1965 |
ニューヨーク、スタジオ50にて『エド・サリバン・ショー』のリハーサル及び録画撮り。 | |
1966 |
クリーブランド、クリーブランド・スタジアムにて公演。(アメリカ) | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング、テープ・コピー。19:00-翌4:30 | |
Yer blues(2/3) | ||
What's the new Mary Jane(John)(1/2) | ||
1969 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-翌2:30。セッションの休憩中にジョンがBBCラジオ番組『エベレット・イズ・ヒア』のインタビュー収録。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1965 |
アメリカ・ツアー開始。ニューヨーク、シェア・スタジアムにて公演。 56000人の聴衆の前での公演。"Ed Sullivan Show"のために録画もされた。 |
|
1966 |
ワシントン、ワシントンDCコロシアムにて公演。(アメリカ) | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌3:00 | |
Rocky raccoon | ||
1969 |
EMI第1/2スタジオにてレコーディング。14:30-17:30/19:00-翌1:15 | |
Something(5/5) | ||
Here comes the sun(6/7) | ||
Golden slumbers(6/6) Carry that weight(6/6) The end(4/5) |
||
1962 |
ブライアン・エプスタイン、ピート・ベストにクビを言いわたす。 チェスターのリバーパーク・ボールルームのステージでは、ピート・ベストの代わりにジョニー・ハッチンソンがドラムを担当。 |
|
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
ブラックプール、オペラハウスにて公演。 | |
1966 |
フィラデルフィア、J・F・ケネディ・スタジアムにて公演。(アメリカ) | |
1968 |
アップルはポールのプロデュースによるメアリー・ポプキンの「Those Were The Days」をリリース。4ヶ月で400万枚のセールスを記録。 | |
1960 |
「ビートルズ」とバンド名を変え、プロモーターであるアラン・ウィリアムズの手引きにより3ヶ月間に及ぶ初めてのハンブルグ巡業に出る。(ポールは学校を中退、ジョージは会社を辞める)インドラのクラブに出演。48日間200時間の演奏をするハードワークだった。バンビキーノという映画館の2階に2-3ヶ月寝泊りし、ユニオンジャックを掛けて寝ていた。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ランティドノー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1965 |
トロント、メープル・リーフ・ガーデンズにて公演。 | |
1966 |
トロント、メープル・リーフ・ガーデンズにて公演。(カナダ) | |
1968 |
ジョージ、両親と兄弟を連れてギリシャへ休暇旅行。 | |
1962 |
ドラマーにリンゴ・スターを迎えての初のステージがバーケンヘッドのヒューム・ホールで行われる。 | |
1963 |
バーミンガム,アルファ・テレビジョン・スタジオにてABCテレビ番組『ラッキー・スターズ』の収録。 | |
1963 |
トルキー・プリンセス・シアターにて公演。 | |
1964 |
サンフランシスコへ向かう。 | |
1965 |
アトランタ、アトランタ・スタジアムにて公演。 | |
1966 |
ボストン、サッフォークダウンズ・レーストラックにて公演。(アメリカ) | |
1968 |
EMI第2/3スタジオにてレコーディング、編集、モノ・ミキシング。17:00-17:30/20:00-翌4:00 | |
1969 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-22:30 | |
The end(5/5) | ||
1962 |
リバプール,キャバン・クラブにて公演。リンゴのキャバーン・クラブでのデビュー。彼らがクラブに入ると、ピート・ベストがいないことに憤ったファンに襲撃され、ジョージは目を殴られて腫れた。 | |
1963 |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1964 |
2回目のアメリカ・ツアー開始。18州26ヶ所で行う15000マイル・U.S.ツアー。この日はサンフランシスコ、カウ・パレスにて公演。 | |
1965 |
ヒューストン、サム・ヒューストン・コロシアムにて公演。 | |
1966 |
メンフィス、ミッドサウス・コロシアムにて公演。(アメリカ) | |
1967 |
リンゴに2人目の男の子誕生。“ジェイソン”と命名。 | |
1969 |
EMI第2/3スタジオにてレコーディング。14:00-翌4:00 | |
Here comes the sun(7/7) | ||
1962 |
クルー,マジェスティック・ボールルームにて公演。 | |
1963 |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1964 |
ラスベガス、コンベンション・センターにて公演。 | |
1966 |
シンシナティ、クロズリー・フィールドにて公演予定だったが、大雨のため翌日順延。(アメリカ) | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌5:00 | |
Wild honey pie | ||
Yer blues(3/3) | ||
Mother nature's son(2/2) | ||
1969 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-翌1:15。この日はビートルズの4人が揃った最後のセッション。 | |
I want you(She's so heavy)(7/7) | ||
1963 |
EMI第3スタジオにて編集とモノ・ミキシング 10:00-13:00/14:00-17:30 | |
1963 |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1964 |
シアトル、コロシアムにて公演。 | |
1965 |
ミネアポリス、メトロポリタン・スタジアムにて公演。 | |
1966 |
シンシナティ、クロズリー・フィールドにて公演(前日の振り替え公演) 移動後、セント・ルイス、ブッシュ・スタジアムにて公演。(アメリカ) |
|
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:30-翌7:15 | |
Sexy Sadie(2/2) | ||
1962 |
リバプール,キャバン・クラブにて公演。 この夜、初のTV収録が行われたが、映像の悪さから暫く放送されず。 ただしビートルズが有名になった1963年に改めて放映。 |
|
1963 |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1964 |
バンクーバー、エンパイア・スタジアムにて公演。 | |
1965 |
ポートランド、メモリアル・コロシアムにて公演。 | |
1967 |
チャペル・レコーディング・スタジオにてレコーディング。時間不明 | |
1967 |
Your mother should know(1/3) | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、テープ・コピー。19:00-翌4:45 セッションが始まってすぐ、リンゴが離脱。 | |
Back in the U.S.S.R.(1/2) | ||
シンシア・レノンは、夫のジョンがヨーコ・オノと不義を犯したかどで離婚訴訟を起こす。のち勝訴。 | ||
1969 |
ジョンの自宅(ティッテンハースト・パーク)でアメリカ人フォトグラファー、イーサン・ラッセルによるフォト・セッションが行なわれる。 結果的にこれがビートルズ最後のフォト・セッションとなる。 |
|
1962 |
ジョンはリバプールのマウント・プレザント登記所でシンシア・パウエルと結婚 。 | |
チェスター,リバーパーク・ボールルームにて公演。 | ||
1963 |
4枚目のシングル「シー・ラブズ・ユー / アイル・ゲット・ユー」をリリースする。1週間後にチャート第1位になる。予約だけでミリオン・セラーに。 | |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | ||
1964 |
ロサンジェルス、ハリウッド・ボウルにて公演。LPリリース用にライブ録音が行われる。 | |
1966 |
ニューヨーク、シェア・スタジアムにて公演。(アメリカ) | |
1967 |
チャペル・レコーディング・スタジオにてレコーディング。時間不明 | |
Your mother should know(2/3) | ||
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング、テープ・コピー。19:00-翌3:00 | |
Back in the U.S.S.R.(2/2) | ||
1962 |
昼、リバプール,キャバン・クラブにて演奏。夜、マジェスティック・ボールルームにて公演。 | |
1963 |
ボーンマス,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1966 |
ニューヨーク、シェア・スタジアムにて公演。(アメリカ) | |
1967 |
ジョン、ポール、ジョージ、それぞれの婦人や恋人を伴って、マハリシ・マヘシ・ヨギの瞑想の会に出席。 | |
1968 |
ジョンとヨーコ、ウェンブリー・スタジオにて、LWTテレビ番組『フロスト・オン・サタデー』のインタビュー収録。 | |
1962 |
ランカシャー,マリーンホール・ボールルームにて演奏。 | |
1963 |
ブラックプール,ABCシアターにて公演。 | |
1966 |
シアトル、シアトル・コロシアムにて公演。(アメリカ) | |
1967 |
マハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想セミナーに出席するため、ウェールズのバンゴアへ。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
サウスポート,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
デンバー、レッド・ロック・スタジアムにて公演。 | |
1968 |
18枚目のシングル「Hey Jude / Revolution」をアップルからリリース。全世界で大ヒットし、ビートルズのシングルの中で最も売れた作品となる。 | |
トウィッケンハム・フィルム・スタジオで『HEY JUDE』・『REVOLUTION』のプロモーション・フィルムが作成される 監督はマイケル・リンゼイ・ホッグ 36人編成のオーケストラと300人のエキストラが参加。 | ||
EMI第2スタジオ(コントロール・ルーム)にてテープ・コピー。16:00-17:00 | ||
1963 |
BBCテレビのドキュメンタリー番組制作のため、リトルシアターにてロケ。 | |
ロンドン,オデオン・シネマにて公演。 | ||
1964 |
シンシナティ、ザ・ガーディンズにて公演。 | |
1965 |
エルビス・プレスリーを訪問し、会談と簡単なセッションを楽しむ。 | |
1967 |
ブライアン・エプスタインが自宅で死亡しているのが発見される。享年32歳。 この時ビートルズはマハシリとともにノース・ウェールズのバンゴーにいた。 「大変ショックです。気が動転していてどうしていいか分からない」とポールはコメントする。 |
|
1968 |
EMI第2スタジオにてテープ・コピー。16:30-17:00 | |
1970 |
ポール、ビートルズは今後いかなる理由でも一緒に演奏しないと声明。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
BBCテレビのドキュメンタリー番組制作のため、BBCテレビ内の楽屋にてロケ。 | |
ロンドン,オデオン・シネマにて公演。 | ||
1964 |
ニューヨーク、フォレストヒルズ・スタジアムにて公演。 | |
1965 |
サンディエゴ、バルボア・スタジアムにて公演。 | |
1966 |
ロサンゼルス、ドジャー・スタジアムにて公演。(アメリカ) | |
1968 |
ロンドン,トライデント・スタジオにてレコーディング。17:00-翌7:00 | |
Dear Prudence(1/3) | ||
1969 |
ポールとリンダの間に、メアリー・マッカートニーが誕生。ロンドン療養院にて。 | |
1959 |
クォリーメン、オープンしたてのカスバ・クラブにレギュラー出演。 | |
1962 |
ランカシャー,フローラルルーム・ボールルームにて公演。 | |
1963 |
BBCテレビのドキュメンタリー番組制作のため、リバプール発着のフェリー上でロケ。 | |
ロンドン,オデオン・シネマにて公演。 | ||
1964 |
ニューヨーク、フォレストヒルズ・スタジアムにて公演。 | |
1965 |
ロサンゼルス、ハリウッド・ボウルにて公演。この公演をライブ・コンサート録音。 | |
1966 |
サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでビートルズ最後の
コンサート。 ジョンとポール、ステージにカメラを持ち込み、演奏のあいまに写真を撮る。 また、トニー・バーロウはカセットで演奏を録音する。 |
|
1968 |
ロンドン,トライデント・スタジオにてレコーディング。19:00-翌6:00 | |
Dear Prudence(2/3) | ||
1962 |
昼、リバプール,キャバン・クラブにて公演。夜、チェスター,リバーパーク・ボールルームにて公演。 | |
1963 |
BBCテレビのドキュメンタリー番組制作のため、リンゴの自宅の庭にてロケ。 | |
1963 |
ロンドン,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
アトランティック・シティ、コンベンション・ホールにて公演。 | |
1965 |
ロサンゼルス、ハリウッド・ボウルにて公演。この公演をライブ・コンサート録音。 | |
1968 |
ロンドン,トライデント・スタジオにてレコーディング。17:00-23:00 | |
Dear Prudence(3/3) | ||
1958 |
クォリーメン、パーシー・フィリップスという老人の家の一間を借りて初のデモ・レコードをカット。A面はバディ・ホリーの「That'll Be The Day」、B面はポールとジョージの共作「In Spite Of All The Danger」。 | |
1962 |
リンゴ、ビートルズに正式加入。 | |
リドニー,タウンホールにて公演 | ||
1963 |
ロンドン,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
ポール、アメリカ・ツアーで滞在していたホテルからメンフィスのエルビス・プレスリーに電話をする。 | |
1965 |
アメリカ・ツアー最終日。サンフランシスコ、カウ・パレスにて公演。 | |
1966 |
ロンドンに戻る。 | |
1969 |
ジョンとヨーコ ジョージとパティ リンゴとモーリン ディランのコンサート見るためワイト島へ。 |