※日付をクリックすると、その日の詳細な「記録」が表示されます。
6 月
1963 |
ロンドン,BBCパリス・スタジオにて、BBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』の収録。 | |
トゥーティング・グラナダ・シネマにて公演。 | ||
1964 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-17:30/19:00-22:00 | |
I'll cry instead | ||
I'll be back | ||
Slow down(1/2) | ||
Matchbox | ||
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。時間不明 | |
Yellow submarine(2/2) | ||
1967 |
ド・レイン・リー・ミュージック・レコーディング・スタジオにてレコーディング。時間不明 | |
It's all too much(2/3) | ||
アルバム”Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band”をパーロフォンからリリース。 発売と同時に絶賛を浴びる。 |
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1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | |
ジョン、「Give Peace A Chance」をレコーディング。 | ||
1970 |
ニール・アスピノール、ビートルズの活躍を記録したフィルム編集開始。 | |
1963 |
ブライトン,ヒッポロドーム・シアターにて公演。 | |
1964 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-17:30/19:00-22:00 | |
Any time at all | ||
Things we said today | ||
When I get home | ||
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌3:30 | |
I want to tell you(1/2) | ||
1967 |
ド・レイン・リー・ミュージック・レコーディング・スタジオにてレコーディング。20:30-翌2:00 | |
It's all too much(3/3) | ||
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | |
1963 |
ウリッジ,グラナダ・シネマにて公演。 | |
1964 |
EMI第2スタジオにてリハーサル。15:00-16:00 リンゴが扁桃腺を患ったため、臨時メンバーとしてジミー・ニコルがセッションに参加。ジミーはコンサートでも、リンゴの替わりに13日まで演奏している。 |
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You know what to do (George) | ||
Slow down(2/2) | ||
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌2:30 | |
I want to tell you(2/2) | ||
1963 |
バーミンガム,タウン・ホールにて公演。 | |
BBCラジオ・シリーズ“ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ”放送開始。 | ||
1964 |
初のワールド・ツアーを開始。扁桃腺と咽頭炎で入院していたリンゴに代わって、前半はジミー・二コルがドラマーとして参加する。最初はデンマーク・ツアー。 | |
1968 |
EMI第3スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-翌1:00 | |
Revolution 1(3/4) | ||
Revolution 9(3/9) | ||
1969 |
ジョンとヨーコのグループ、プラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングル「平和を我等に」イギリスで発売( B 面「リメンバー・ラヴ」)。 | |
1963 |
リーズ,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
オランダ・アムステルダム空港到着後、同地で記者会見。その後ヒレホム、カフェレストラン・トレスロングにて、VARAテレビの番組収録。 | |
1966 |
アメリカのTV番組"The Ed Sullivan Show"でビートルズのロンドンでのフィルムが放映される。 | |
1968 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。14:30-翌1:30 | |
Don't pass me by(1/4) | ||
1962 |
EMIスタジオで、ジョージ・マーティンプロデュースのもと、デモ・レコーディング。「ベサメ・ムーチョ」、「ラヴ・ミードゥ」、「P.S.アイ・ラヴ・ユー」、「アスク・ミー・ホワイ」の4曲。このセッションのプロデュースはロン・チャーリーズでマーティンはセッションの前半はいなかったが、バランス・エンジニアのノーマン・スミスが、最初にレコーディングしたジョンとポールの曲をあまりにも気に入ったため、テープ・オペレータのクリス・ニールにマーティンを呼びに行かせた。マーティンはこの曲に可能性を感じたが、ピート・ベストのドラムが気に入らず、セッション・ドラマーを使ってもいいかとバンドに聞いた。 マーティンは契約書に最終的なサインをする手配をし、ビートルズはEMIと契約した。(契約書は 6 月 4 日付) | |
Besame mucho | ||
1964 |
ブロッカー,フェイリンハル・オブ・ホープ・ファン・ゼーハンにて公演(オランダ)。 | |
1966 |
EMI第3スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング、テープコピー。19:00-翌1:30 | |
Elenor rigby(3/3) | ||
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-翌2:45。この日のレコーディング中、BBCラジオ番組『ザ・ケニー・エベレット・シヨー』のためインタビュー収録。 | |
Don't pass me by(2/4) | ||
Revolution 9(4/9) | ||
1969 |
ポールとリンダは、デヴォンの土地を下見に行く。 | |
1963 |
グラスゴー,オデオン・シネマにて公演。 | |
1967 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌2:00 | |
You know my name(Look up my number)(2/4) | ||
1968 |
ジョージとリンゴ、ラヴィ・シャンカールの映画『ラーガ』のため米カリフォルニアへ。(18日まで) ポール、弟のマイクの結婚式に出席。 |
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1963 |
ニューカッスル,シティ・ホールにて公演。 | |
1964 |
ベイルート経由で香港へ。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。13:00-14:00/14:30-翌2:30 | |
Good day sunshine(1/2) | ||
1967 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌1:00 | |
You know my name(Look up my number)(3/4) | ||
1968 |
ポールとジェーン・アッシャーは、キャロッグ・メリヤネスで行われた弟マイク・マッカートニーヘア・スタイリストのアンジェラ・フィッシュウィックの結婚式に出席。 | |
1957 |
クオリー・メン キャロル・リービス主催のアマチュア・バンド・コンテストに出場し落選 クオリー・メンとして最初のステージ。 | |
1962 |
キャバーン・クラブで「BEATLES WELCOME CONCERT 」が開かれる。 | |
1963 |
ブラックバーン,キング・ジョージズ・ホールにて公演。 | |
1964 |
香港・九龍,プリンセス・シアターで所要時間95分のボート・ツアーという異例のコンサートを開く。運河や橋の上に15万人を越すファンが集まった。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-20:00 | |
Good day sunshine(2/2) | ||
1967 |
EMI第2スタジオ(コントロール・ルーム)にてモノ・ミキシング、編集。19:00-23:00 | |
1963 |
バース,パビリオンにて公演。 | |
1966 |
12枚目のシングル"Paperback Writer / Rain"をパーロフォンからリリース。 | |
1968 |
ジョンとヨーコ、EMI第3スタジオにてレコーディング。14:30-17:45 | |
Revolution 9(5/9) | ||
ジョージ、カリフォルニア、ビッグ・サーにて映画『ラーガ』の撮影。ジョージ、カリフォルニア、ビッグ・サーにて映画『ラーガ』の撮影。 | ||
1962 |
BBCのプレイ・ハウス・シアターでBBC「ティーンエイジャーズ・ターン~ヒア・ウイ・ゴー」で「アスク・ミー・ホワイ」、「ベサメ・ムーチョ」、「ア・オイクチャー・オブ・ユー」を収録。 | |
1968 |
EMI第2/3スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。18:30-翌0:15 | |
Blackbird | ||
Revolution 9(6/9) | ||
ジョージ、カリフォルニア、ビッグ・サーにて映画『ラーガ』の撮影。 | ||
1963 |
リバプール,グラフトン・ルームズにて公演。(チャリティ・ライブ) | |
1964 |
アデレイドを皮切りにメルボルン、シドニー、ウェリントンなどオーストラリア全域に渡る公演旅行が開始。オーストラリア・ツアーの途中からリンゴが加わる。アデレードでは30万人の出迎えを受けるなど、オーストラリアでの人気は非常に高く、オーストラリアチャート1-6位を独占していた。(アデレイドのコンサートは8万人を越す署名が集まったために行われることになったもの) この日は、アデレード,センテニアル・ホールにて公演。 | |
1965 |
トゥイッケナム・フィルム・スタジオにて映画『Help!』のラフ・カットをチェック。ビートルズにMBE勲章が授与されるというニュースが流れ、記者が押し掛けてきたため急遽記者会見を行う。夜、ポールがBBCラジオ番組用の電話インタビューを受ける。ポールは、「野良仕事をする時にでもつけようかな」と語る。 | |
1963 |
ストックポート,パレスシアター・クラブとマンチェスター,サザン・スポーティング・クラブの2会場で公演。 | |
1964 |
アデレード,センテニアル・ホールにて公演(オーストラリア)。 | |
1963 |
ワラシー,タワー・ボールルームにて公演。 | |
1965 |
EMI第2スタジオにて、レコーディング。14:30-17:30/19:00-22:00 | |
I've just seen a face | ||
Yesterday |
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I'm down | ||
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌2:00 | |
Here, there and everywhere(1/3) | ||
1967 |
オリンピック・サウンド・スタジオにてレコーディング。時間不明 | |
All you need is love(1/5) | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ソールズベリー,シティ・ホールにて公演。 | |
1964 |
メルボルン,フェスティバル・ホールにて公演(オーストラリア)。 | |
1965 |
EMI第2スタジオにて、レコーディング。14:30-17:30 | |
It's only love | ||
星加ルミ子 日本人として始めてビートルズとの会見に成功する。 | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ラムフォード,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
メルボルン,フェスティバル・ホールにて公演(オーストラリア)。 | |
1966 |
ロンドン、テレビジョン・センターにて、BBCテレビ番組『トップ・オブ・ザ・トップス』の収録。(ビートルズのTV出演は1965年の8月以来のことだった。)その後EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌3:30 | |
Here, there and everywhere(2/3) | ||
1968 |
ポール、ウェンブリーのストーンブリッジ・ハウスにて、アメリカ向けテレビ番組『デビッド・フロスト・プレゼンツ…フランキー・ハワード』の収録。 | |
1963 |
ロンドン,メイダベイル・スタジオにて、BBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』の収録。 | |
1964 |
シドニー,スタジアムにて公演(オーストラリア)。 | |
1965 |
EMI第2スタジオにて、レコーディング・ミキシング。14:30-17:30/19:00-22:00 | |
Act naturally | ||
Wait(1/2) | ||
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌1:30 | |
Here, there and everywhere(3/3) | ||
Got to get you into my life(4/4) | ||
1942 |
綿のセールスマンであるジェームズ・マッカートニーとメアリー・パトリシア・マッカートニーとの間にジェームズ・ポール・マッカートニーがリヴァプールのウォールトン病院で生まれる。 | |
1964 |
シドニー,スタジアムにて公演(オーストラリア)。 | |
1965 |
NEMSのオフィスにて、BBCヨーロッパ放送内イタリア語放送テレビ番組のインタビューに応じる。その後、ライム・グローブ・スタジオにて、BBCテレビ番組『トゥナイト』に生出演。 | |
1967 |
ポール、誕生日に「これからもLSDを飲むかもしれない」と発言。 | |
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ロンドン,プレイハウス・シアターにて公演。 | |
1964 |
シドニー,スタジアムにて公演(オーストラリア)。 | |
EP『Long Tall Sally』「Long Tall Sally 」/「 I Call Your Name」 / 「Slow Down 」/ 「Matchbox」 | ||
1967 |
EMI第3スタジオにてレコーディング、テープ・コピー。19:00-翌1:45 | |
All you need is love(2/5) | ||
ポールは”ライフ”誌にLSDを4回服用したと語る。また、”デイリー・ミラー”紙には「LSDについてしゃべったことは後悔はしていないね。ファンもきっと分かってると思うんだ」 | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1964 |
シドニー、スタジアムにて公演(オーストラリア)。 公演の前にBBCラジオ番組『ラウンドアバウト』の電話インタビューの収録。 |
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1965 |
ヨーロッパ・ツアー開始。フランス・パリのパレ・ドゥ・スポーツで公演。 | |
1966 |
EMI第1スタジオにてモノ・ミキシング。18:00-20:30 | |
1968 |
「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」紙は、ビートルズがアメリカのキャピタル、イギリスのEMIとの契約を結び、今後のレコードは全てアップル・レーベルからリリースし、また、今後3年間、両会社はアップルの全てのレコードをディストリビュートすると発表。 | |
ポール、キャピタル・レコードとの契約のためハリウッドへ(25日まで)。 | ||
EMI第1/2/3スタジオにてレコーディング。19:00-翌3:30 | ||
Revolution 9(7/9) | ||
1963 |
ギルドフォード,オデオン・シネマにて公演。 | |
1966 |
EMI第3スタジオにてステレオ・ミキシング、モノ・ミキシング、編集。10:00-13:00/14:30-18:30/19:00-翌3:45 | |
She said she said | ||
1967 |
EMIスタジオ53号室にてモノ・ミキシング。16:30-23:30 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、ステレオ・ミキシング。14:30-21:00/22:00-翌3:30 | |
Revolution 1(4/4) | ||
Revolution 9(8/9) | ||
1961 |
オーケストラのリーダー、ベルト・ケンプフェルトのプロデュースでトニー・シェリダンの「マイ・ボニー」のセッションに参加。ビートルズとして演奏し、このシングルは地元で8月に発売。「マイ・ボニー」「聖者の行進」「ホワイ(キャンチュー・ラブ・ミー・アゲイン)」「ノーバディズ・チャイルド」の4曲と、自分たちのジョンがヴォーカルの曲「エイント・シー・スイート」ジョンとジョージの共作「クライ・フォーア・シャドウ」を録音した。 | |
My bonnie(トニー・シェリダンのバックとして)(1/2) | ||
Cry for a shadow(1/2) | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1963 |
ロンドン,テレビジョン・シアターにて、BBCテレビ番組『ジュークボックス・ジュリー』の収録。 | |
アバーガベニー,タウンホール・ボールルームにて公演。 | ||
1964 |
ウエリントン,タウン・ホールにて公演(ニュージーランド)。 | |
1965 |
フランス・リヨン、パレ・ディベール・ド・リヨンで公演。 | |
1966 |
EMI第3スタジオにてステレオ・ミキシング、モノ・ミキシング、編集。Album『Revolver』完成。19:00-1:30 | |
1940 |
スチュアート・サトクリフがスコットランドのエジンバラに生まれる。 | |
1961 |
「マイ・ボニー」セッション。 | |
My bonnie(トニー・シェリダンのバックとして)(2/2) | ||
Cry for a shadow(2/2) | ||
Ain't she sweet | ||
1962 |
エプスタインがビートルズ関連のビジネスを扱うためにNEMSエンタープライズ・リミテッドを設立。 | |
1963 |
バーミンガム,アルファ・テレビジョン・スタジオにて、ABCテレビ番組『ラッキー・スターズ』の収録。6/29放映。 | |
1964 |
ウエリントン,タウン・ホールにて公演(ニュージーランド)。 | |
1966 |
ビートルズ、ロンドン空港からドイツに向けて出発する。 | |
1967 |
EMI第1スタジオにてレコーディング。20:00-23:00 | |
All you need is love(3/5) | ||
1963 |
ロンドン,プレイハウス・シアターにて、BBCラジオ番組『サタデー・クラブ』の収録。 | |
1964 |
オークランド,タウン・ホールにて公演(ニュージーランド)。 | |
1965 |
イタリア・ミラノ、ヴェロドロモ・ヴィゴネリで公演。 | |
ジョンの2冊目の本"ア・スパニアード・イン・ザ・ワールド"が出版される。 | ||
1966 |
ワールド・ツアー開始。ミュンヘン、サーカス・クローネ・バウにて公演。(ドイツ) ミュンヘン公演では偽造チケットが出回り、さらにチケットを買えなかったファン2000人が警官のスクラムを突破して場内に乱入しようとしたため、場内は大混乱になった。 |
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1967 |
EMI第1スタジオにてレコーディング。17:00-20:00 | |
All you need is love(4/5) | ||
1963 |
ミドルスブラ,アストリア・ボールルームにて公演。 | |
1964 |
オークランド,タウン・ホールにて公演(ニュージーランド)。 | |
1966 |
エッセン、ガルーガ・ハッレにて公演。(ドイツ) | |
1967 |
EMI第1スタジオにてレコーディング。14:00-翌1:00。同スタジオにて生中継で世界衛星番組『アワ・ワールド』出演。ニュー・シングル”All You Need Is Love”を初披露。13人のセッション・ミュージシャンを集め演奏。24ヶ国の計4億人がこの中継を観たと言われる。 |
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All you need is love(5/5) | ||
1968 |
EMI第2スタジオにて編集、ステレオ・ミキシング、テープ。14:00-20:00。ジョージ、EMI第3スタジオにて、ジャッキー・ロマックスのセッションにプロデューサーとして参加。 | |
1963 |
ニューカッスル・アポン・タイン,マジェスティック・ボールルームにて公演。 | |
1964 |
ダニディン,タウン・ホールにて公演(ニュージーランド)。この日の移動で搭乗した飛行機に爆弾を仕掛けたという脅迫電話がかかってくるというトラブルに見舞われる。 | |
1965 |
イタリア・ジェノバ、パラッツォ・デ・スポルトで公演。 | |
1966 |
ハンブルグ、エルンスト・メルック・ハッレにて公演。(ドイツ)ハンブルグでは興奮したファンの暴動が市内各所で発生し、少年少女117人が逮捕。 | |
1967 |
EMI第2スタジオ(コントロール・ルーム)にてレコーディング、モノ・ミキシング。14:00-17:00 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌3:30 | |
Everybody's got something to hide except me and my monkey(1/4) | ||
1962 |
キャバーン・クラブでライブ。 | |
1964 |
クライストチャーチ,マジェスティック・シアターにて公演(ニュージーランド)。 | |
1965 |
イタリア・ローマ、テアトロ・アドリアーノで公演。 | |
1966 |
ドイツ・ツアーを終えて日本に向けて出発したが、台風のためアラスカ、アンカレッジで足止めを食う。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。17:00-翌3:45 | |
Everybody's got something to hide except me and my monkey(2/4) | ||
1963 |
リーズ,クイーンズ・ホールにて公演。 | |
1965 |
イタリア・ローマでの公演を終えた後、コート・ダ・ジュールに向かう。 | |
1966 |
台風の影響でアンカレッジで9時間足止め。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌4:30 | |
Good night(1/3) | ||
1964 |
ブリスベン,フェスティバル・ホールにて公演(オーストラリア)。 | |
1965 |
ポールとジョージ、プロモーターのフェリックス・マロアーニのヨットで1日過ごす。 | |
1966 |
ビートルズ、この日の早朝羽田空港へ来日。キャピタル・ホテル『紅真珠の間』にて来日記者会見。 | |
1963 |
グレート・ヤーマス,ABCシネマにて公演。 | |
1964 |
ブリスベン,フェスティバル・ホールにて公演(オーストラリア)。ワールド・ツアー最終日。 | |
1965 |
イタリア・ニース、パレ・デ・ゼクスポジションで公演。 | |
1966 |
東京、日本武道館にて公演。(日本) | |
1968 |
ヨークシャー,エクシビジョン・ロードにて、ブラック・ダイク・ミルズ・バンドのレコーディングにポールが立ち会う。このレコーディング中、BBCテレビ番組『ルック・ノース』のインタビュー収録。 |