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5 月
1964 |
ロンドン,BBCパリス・スタジオにて、BBCラジオ番組『フロム・アス・トゥ・ユー』の収録。 | |
1966 |
恒例となったウェンブリ―・エンパイア・プールでの"ニュー・ミュージカル・エクスプレス"紙人気投票入賞者コンサートに出演。 これが、ビートルズとしてのイギリス最終公演となる。 |
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1967 |
EMIは、ビートルズがこれまでに2億枚のレコードを売ったと発表(アルバムをシングル6枚・EPを2枚と計算)。 | |
1969 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。19:00-10:45 | |
1964 |
この日から30日まで、ビートルズは長期休暇に入る。プエルトリコへ休暇旅行。各人の夫人・恋人と現地でおちあう。 | |
1966 |
ロンドン、プレイハウス・シアターにて、BBCラジオ番組『サタデー・クラブ』のインタビュー収録。その後ポールとリンゴが同スタジオに残り『ポップ・プロフィール』のインタビュー収録。 | |
1969 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。19:00-翌3:40 ジョンとヨーコ、セッション前にロンドン,ライム・グローブ・スタジオにてBBCテレビ番組『ハウ・レイト・イット・イズ』の収録。 |
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Something(1/5) | ||
1965 |
ソールズベリー平原にて、映画『Help!』の撮影。大平原を駆け回り、演奏するシーンなど。 2作目の映画のタイトルが『Eight Arms To Hold You』から『Help!』に変更される。 |
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1967 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。19:00-翌0:15 | |
Magical mystery tour(4/5) | ||
1965 |
ソールズベリー平原にて、映画『Help!』の撮影。大平原を駆け回り、演奏するシーンなど。 | |
1967 |
EMI第3スタジオ(コントロール・ルーム)にてモノ・ミキシング。19:00-23:15 | |
1965 |
ソールズベリー平原にて、映画『Help!』の撮影。大平原を駆け回り、演奏するシーンなど。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。21:30-翌3:00 | |
I'm only sleeping(3/4) | ||
1969 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。 | |
Something(2/5) | ||
ロンドン,レ・ザンバサドゥールにて行われた、映画『The Magic Chiristian』の打ち上げパーティに、出演したリンゴをはじめ、ジョン、ポールも出席。 | ||
1964 |
ジャック・グッドプロデュースの公開録画番組"Around The Beatles"放映。DJはマレー・ザ・K、他の出演者はミリー、シラ・ブラック、ロング・ジョン・ボルドリー。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-翌2:15 | |
I'm only sleeping(4/4) | ||
1969 |
オリンピック・サウンド第1スタジオにてレコーディング。スタジオ15:00-翌4:00 | |
You never give me your money(1/6) | ||
1965 |
トゥイッケナム・フィルム・スタジオにて、映画『Help!』の撮影。ポールの体が小さくなってしまうシーンなど。 | |
1969 |
ジョンとヨーコ、アップル本社にてBBCラジオ番組『シーン・アンド・ハード』のインタビュー収録。 | |
1970 |
最後のオリジナル・アルバム『レット・イット・ビー』が豪華写真集付きボックス・セットとしてイギリスで発売される。 | |
1962 |
EMIの音楽出版部門、アードモア・アンド・ビーチウッドのシド・コールマンの紹介でエプスタインはアビー・ロード・スタジオでジョージ・マーティンに会った。デッカのオーディションのテープを聴くと、マーティンはグループの演奏を見ることもなくすぐにエプスタインにレコーディング契約を申し出た。 契約書類が作成され、エプスタインが署名をした。あとはマーティンがアビー・ロードでビートルズをオーディションして気に入りさえすれば、EMIの正式な署名がされ契約書は法的拘束力を持つものとなるはずだった。その後、エプスタイン、ビートルズにEMIレコードのオーディション決定のニュースを電報で伝えた。 | |
1963 |
ポール・マッカートニーはロイヤル・アルバート・ホールに出演後、インタビュアーとしてやってきたジェーン・アッシャーと会う。 | |
1965 |
セント・マーガレッツにて、映画『Help!』の撮影。リンゴが体重計の上で手首を切り落とされそうになるシーンなど。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-23:00 | |
For no one(1/3) | ||
1969 |
アップル傘下のザップルからジョンとヨーコの「『未完成』作品第2番~ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ」と、ジョージの「電子音楽の世界」をリリース。 | |
ポール、ロンドン,オリンピック・サウント・スタジオにてスティーブ・ミラー・バンドとセッション。同バンドのシングル・レコードには、ポールは偽名としてポール・ラモーンとクレジットされている。 | ||
1965 |
クリーブドン・ハウスにて、映画『Help!』の撮影。 | |
撮影の後、EMI第2スタジオにてレコーディング・ミキシング他。20:00-翌1:15 | ||
Dizzy Miss Lizzy | ||
Bad boy | ||
1970 |
リンゴ、モンテカルロで開かれたフィルム・フェスティバルに出席。 | |
1963 |
ネルソン,インペリアル・ボールルームにて公演。 | |
1964 |
プエルトリコからホノルルへ移動。 | |
1965 |
クリーブドン・ハウスにて、映画『Help!』の撮影。 | |
1967 |
オリンピック・サウンド・スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。21:00-翌3:00 | |
Baby you're a rich man | ||
1968 |
アップル設立の記者会見を開くため、ジョンとポール、ニューヨークへ。 | |
1963 |
バーミンガム,アルファテレビ・スタジオにて、ABCテレビの『サンク・ユウ・ラッキー・スターズ』の収録。 | |
1965 |
映画"HELP!"の撮影がクランク・アップ。 | |
1967 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。19:00-翌0:30 | |
All together now | ||
1970 |
映画「Let It Be」のプレミア・ショーがニューヨークで開かれる。ビートルズのメンバーはひとりも出席しない。 | |
1963 |
サンダーランド,リンク・ボールルームにて公演。 | |
1966 |
"メロディー・メイカー"紙は、人口が400万人しかいないデンマークで、ビートルズが100万枚以上のレコードの売上げを記録したと報じる。 | |
1968 |
アメリカを訪れたジョンとポールは、自分たちの会社であるアップル・コープス・リミテッド設立を発表。 ポールはその記者会見の席上で、リンダ・イーストマンと再会する。 |
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ジョンとポール、ニューヨーク・WNDTスタジオにて、WNDTテレビ・ニュース番組『ニュース・フロント』のインタビュー収録。その後スタジオ6Bにてトーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』の収録。 | ||
1963 |
ロンドン,ロイヤルティ・シアターにて公演。 | |
1969 |
ポール、ヘズウォルの実家でBBCラジオ番組『ライト・アンド・ローカル』のインタビュー収録。 | |
1963 |
ロンドン,テレビジョン・シアターにて、BBCテレビの『ポップス&レニー』に出演。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング、テープコピー。14:30-翌14:30 | |
Taxman(3/3) | ||
For no one(2/3) | ||
1969 |
ポール、リンダとともに海外休暇へ出発。 | |
1963 |
ノーウィッチ,グロブナー・ルームズにて公演。 | |
1967 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。19:00-翌2:30 | |
You know my name(Look up my number)(1/4) | ||
1968 |
リンゴとモーリン、ジョージとパティ、カンヌ映画祭での特別試写会に出席。 | |
1963 |
ゲイリー&ザ・ペースメーカーズ、ロイ・オービソンによる合同ツアー開始。(6月9日まで)この日はスラウ,アデルフィ・シネマにて演奏。※当初、ツアーのメインはオービンソンだったが、ファンの要望でビートルズがメインになる。 | |
1965 |
トゥイッケナム・フィルム・スタジオにて、映画『Help!』のアフレコ作業。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-翌2:30 | |
Got to get you into my life(3/4) | ||
1963 |
ヘンリー,ハンリー・ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1966 |
EMI第2スタジオにてレコーディング、モノ・ミキシング。14:30-翌2:30 | |
For no one(3/3) | ||
EMI第1/3スタジオにて、「Paperback Writer」「Rain」のプロモーション・フィルム撮影。19:00-翌1:00 | ||
1968 |
ジョンとヨーコは、ケンウッドのジョンの自宅でサウンド・コラージュのレコーディングをする。2人の関係がはじまる。 このときの録音を約半年後に「トゥー・ヴァージンズ」として発表する。 |
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1969 |
ジョンとポールは、「ヘイ・ジュード」でアイバー・ノベロ賞を受賞。 | |
1960 |
シルヴァー・ビートルズ名前を変えて、ジョニー・ジェントルのサポート・バンドとして、この日から一週間スコットランド・ツアーに同行。 自分達の名前を変えることにした。ポールはポール・レイモン、ジョージはカール・パーキンスにちなんでカール・ハリスン、スチュはある画家にちなんでサトクリフをドゥ・スティル de Stael と変え、さらにグループの名前をザ・シルバー・ビートルズと変えた。 | |
1963 |
サウサンプトン,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1966 |
ロンドン、チスズウィック・ハウスにて、「Paperback Writer」のプロモーション・フィルム撮影。 | |
1970 |
映画「Let It Be」のプレミア・ショー、今度はロンドンで開かれるが、やはりビートルズは誰も出席せず。 | |
1963 |
プレイハウス・シアターにて、BBCラジオ番組『サタデー・クラブ』の収録。5/25放送。 | |
1968 |
ポールとジェーン・アッシャーは、ロンドンでアンディ・ウィリアムズと昼食をとる。その晩ロイヤル・アルパート・ホールで行われたアンディのコンサートに行き、公演後のパーティーにも参加。 | |
1963 |
イプスウィッチ,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1963 |
ノッティンガム,オデオン・シネマにて公演。 | |
1968 |
ポールとリンゴ、EMIスタジオ・コントロール・ルームにて、BBCテレビ番組『オール・マイ・ラヴィング』のためインタビュー収録。 アップル・テーラリング開店。 |
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1963 |
ロンドン,エオリアン・ホールにて、BBCラジオ番組『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』の収録。 | |
ウォルサムスロウ,グラナダ・シネマにて公演。 | ||
1963 |
シェフィールド,シティ・ホールにて公演。 | |
1965 |
ジョン、フランスのカンヌにて、CBSテレビのインタビュー。フランスより午後に帰国。 | |
1967 |
ド・レイン・リー・ミュージック・レコーディング・スタジオにてレコーディング。 | |
It's all too much(1/3) | ||
ジョン、派手な花模様を描いたロールス・ロイスを公開。 | ||
1963 |
リヴァプール,エンパイア・シアターにて公演。 | |
1964 |
ジョンとジョージ、休暇先から帰国。 | |
1965 |
ピカデリー・スタジオにて、BBCテレビ・スペシャル番組『ザ・ビートルズ』の収録。 | |
1966 |
EMI第3スタジオにてレコーディング。19:00-翌1:00 | |
Yellow submarine(1/2) | ||
1967 |
ド・レイン・リー・ミュージック・レコーディング・スタジオにてレコーディング。時間不明 | |
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルで2度目の「ベッド・イン」。6月2日まで行う。 | |
1963 |
カージフ,キャピトル・シネマにて公演。 | |
1964 |
ポールとリンゴ、休暇先から帰国。 | |
1966 |
ジョン、ボブ・ディランのドキュメンタリー・フィルム『イート・ザ・ドキュメント』に出演のため、ウェイブリッジからロンドンへ向かうリムジンの中で収録。 | |
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | |
1963 |
ウースター,ゴーモント・シネマにて公演。 | |
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | |
ロンドン,オリンピック・サウンド・スタジオでグリン・ジョンズが編集作業を続けていたalbum『Get Back』(未発表)が完成。ジョージが立ち会う。 | ||
1963 |
ヨーク,リアルト・シネマにて公演。 | |
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | |
1963 |
マンチェスター,オデオン・シネマにて公演。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。album『The Beatles(White Album)』のレコーディング開始。14:30-翌2:40 | |
Revolution 1(1/4) | ||
Revolution 9(1/9) | ||
1969 |
20枚目のシングル「The Ballad of John And Yoko」をリリース。ビートルズ初のステレオ・シングルである。この曲はジョンとポールの2人だけでレコーディングが行われ、またこの2人が共にレコーディングをした最後の曲であり、ビートルズ最後のNo.1シングルでもある。B面は「Old Brown Shoe」 | |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 | ||
1963 |
サウスエンド,オデオン・シネマにて公演。 | |
1964 |
ロンドン,プリンス・オブ・ウェールズにて、7夜連続で行われた『ポップス・アライブ』にて演奏。 | |
1968 |
EMI第2スタジオにてレコーディング。14:30-0:00 | |
Revolution 1(2/4) | ||
Revolution 9(2/9) | ||
1969 |
ジョンとヨーコ、モントリオール,ホテル・レイン・エリザベスにて、『ベッド・イン』。 |